活動報告
- えらい違いです
-
暦が替わって今日から2月に入りました。この時期は、受験シーズン真っ只中ですから、受験生の皆さんを始め、関係するご家庭では何かと大変ですね。私たちの住んでいるこの日本では、各学校の序列が偏差値等によって出来上がっていて、受験生は、限られた関門をくぐるべく競争に参加する事となり、結構、窮屈な環境に追いやられていますよね。好むと好まざるとに関わらず、仕組みがそうなっている以上は、誰もがそういう状態に置かれています。この状態、賛否両論あると思いますが、皆さんはどう言うご意見をお持ちでしょうか。
この件に関して日本政府は、国連の子どもの権利委員会から、児童が、極度に競争的な教育制度により、過酷なストレスを受けている旨の告発を受けていまして、先進国の中では、このような例は無いようなんです。
実際、世界に目を向けるとどうでしょう。まず、日本政府が言われたらすぐに何でも言う事を聞くアメリカですが。選抜のための試験制度は無いようです。イギリスでは、一部の例外を除けば、生徒の学力による選抜は行われていません。フランスには、通常、入学試験はありません。ドイツもフランス同様に入学試験はないそうです。こうして世界を見渡してみますと、教育に関する考え方としては、人が人として尊重されて、自分に自信を持ち、自分の考えを主張できる事に重きを置く事を基本的に貫いているようですね。ですから、テストによる成績を物差しにして、優劣を決めるような事は無いようです。日本の子どもたちの置かれている状態と比べれば、かなり、伸び伸びとした学校生活を送っているようで、羨ましいですね。
日本の場合は、どなたも経験してはるように、個人を評価する物差しとして成績がかなりのウエイトを占めていますから、その良し悪しで小学校のころからおのずと序列がついてしまいがちです。その事が、知らず知らずの内に優劣の基準のようになってしまっていて、成績の悪い子は劣等感を持たざるをえませんし、逆に成績のよい子は一つの側面だけによる、ある意味ゆがんだ優越感を持つことになってしまいます。ですから、こうした状態の是正を、国連は日本政府に厳しく勧告しているようです。ユネスコの学習宣言では、「学習権とは、読み書きの権利であり、問い続け、深く考える権利であり、自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利である」と、うたっています。これに照らせば、世界と日本の違いが歴然としている事がよく分かりますよね。日本で普通に生まれ育ってくれば、前述の窮屈な状態が自然ですから、それで普通かなと思いがちになりますが、世界に視野を広げれば、その基準、果たして妥当かどうか大いに疑問が膨らんできませんか。
この問題一つを見ても、人間、置かれる環境によって、物の見方や考え方が、ずいぶん左右される事が見て取れるなぁ~と、私は感じているんですが、皆さんは、いかがお感じになりますか。
ぜひ、ご意見・ご感想をお聞かせください。川西町議会議員
芝 和也